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質問へのお答え

いくつかコメントを頂きました中で、解説をしておいた方が良いものがありましたので、エントリーとして取り上げさせていただきます。

まずは、ぴーちくさんからのご質問ですが、
側室を置かなくなったのは大正天皇の頃からで、昭和天皇も側室制度を非文明的だとしてやはり側室は置きませんでした。ですから、一夫一婦制への変更は、マッカーサーの横車というより、昭和天皇ご自身のお考えが反映しているのではないかと思いますがどうでしょうか。


大正天皇は、迪宮裕仁親王(のちの昭和天皇)、淳宮雍仁親王(秩父宮)、光宮宣仁親王(高松宮)、澄宮崇仁親王(三笠宮)の4男をもうけられたわけで、その他にも各宮家を合わせると何十人と皇位継承者には事欠かない状態ですので、全く状況が違います。

また、昭和天皇もすぐ男子をもうけられたので、側室は必要なかったわけですし、「側室制度を非文明的だ」と思われたかどうかはわかりません。

また、秋篠宮殿下も、「公的な役割というものが天皇家に求められる。 そこには私的な思惑が存在してはならない」と仰っているとおり、皇室の第一義である祖宗の大権を個人的な思いで危機に陥れることは有り得ないと考えられます。


で、少し調べてみるとわかりますが、

旧世襲親王家に対しては、世数限定制による皇籍離脱制度により、特例として伏見宮邦家親王の子を5世王として長男の系統の8世王までを皇族とし、それ以降は皇籍離脱することと定められていたが、戦後の昭和22年(1947年)10月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令に基づいて、皇室財産の凍結、皇族の財産に関する特権の停止などが矢継ぎ早に打ち出され、秩父宮、高松宮、三笠宮の三直宮家を除く旧世襲親王家およびその血縁の11宮家、51人の皇族に対して、皇籍離脱が指令された。

from Wikipedia


つまり、皇位継承者が何十人もいた盤石な状態から、今現在の危機的状況まで、60年余りしか経っていません。 この危機的状況は、GHQによる上記のような指示によるもので、中でも特に宮宅の廃止は大きな要因だと思われます。

詳しくは、富田メモ〜皇室典範改正問題をご参照下さい。




また、どなたかから
在位中は「平成天皇」ではなくて「今上天皇」とお呼びしないと不敬に当たりますが。

というご指摘がありましたが、こちらも以下の通りで、

平成天皇という呼称について、これが死後の追号・諡号の形式であるところから使用を避ける傾向があるが、以下の観点から誤りとは言いがたいとする考え方も存在する。

* 一世一元制下では「元号+帝」で(在世中から)当今を指す用法があること。また特に清朝研究などの分野では学術的にも広く行われている慣行であること。
* 和風追号のなかには別邸の在所から付けられたものがあり(鳥羽、白河等)、在世中に「鳥羽の院」「白河の院」などと呼ばれたとする学説もあること。

Wikipedia


文中において諡号として使っているわけではありませんので、よろしくご理解下さい。

at 12:18, Cool., 政治

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-, 2006/08/17 12:30 PM

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